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皆様、あけましておめでとうございます。MOSHIMOHACK代表の寺澤です。今年もよろしくお願いいたします。
2025年も、株式会社MOSHIMOHACKは社員一同、一生懸命仕事をし、「防災」というワードを少しでも日本全土に浸透させていって、日本の防災力向上に寄与できるように努力してまいりたいと思います。
2024年(去年)の元旦に起きた能登半島の地震。お正月に襲ってきたあの大地震からもう1年が経過しました。
しかし、現地では復興がなかなか進まず、今も仮設住宅での生活を強いられている方が何名もいらっしゃいます。
今やテレビでは能登半島の地震について取り上げられる機会も減って、当時の地震のことが忘れられ始めている雰囲気すらありますよね。
しかし完全な復興が成し遂げられていない以上は、あの地震のことを私たちは忘れるべきではないと思います。
発災からちょうど1年が経った今、あの時何が起こっていたのか、能登半島の地震から私たちが得られる教訓は何なのか。改めてお話をさせていただきたいなと思います。
能登半島地震の概要
まず初めに、能登半島の地震について簡単に概要を説明させていただきます。
能登半島地震は2024年1月1日16時10分に石川県珠洲市で発生した「内陸性の地震」となります。
地震の規模はマグニチュード7.6。最大震度は7を観測しています。
この地震で、日本海沿いの広い地域に津波が襲来したほか、各地で土砂災害、火災、液状化現象、家屋の倒壊、交通網の寸断などが多数発生し、奥能登地域と呼ばれる地域を中心に甚大な被害をもたらしました。
元日、お正月に発生したこともあり、帰省している人の増加による人的被害の拡大や、新年に予定されていた様々な行事予定が自粛する形になったりなど、社会的にも大きな影響があった地震と言えます。
この地震による死者は現時点で462人。うち災害関連死235名と、非常に多くの方が命を落とした地震となっています。
当時、『お正月で家でテレビを見ていたら急に揺れた!』とか、『番組が急に全部地震の報道番組に切り替わっちゃった!』とか、覚えている方も非常に多いと思います。新年早々の大地震ということで動揺した方も非常に多かった災害だと言えます。
能登半島地震ではなぜ犠牲者が多く出たのか?
では、この能登半島地震、どうして犠牲者が多数出てしまったのか、そしてなぜ復興がなかなか進んでいないのか。この2点について詳しい説明をさせていただきます。
まず、犠牲者が多数出てしまった理由について。
これには発生が1月という季節的な要因、そして能登半島の地域的・地形的な要因。この2つが主な原因として挙げられるかと思います。
まずは地域的な要因。能登地域は、65歳以上の高齢者が50%以上を占めている、いわゆる「限界集落」に近いとされる地域です。
これはつまり高齢者のみの世帯、高齢の一人暮らしが非常に多いということで、それに比例して家屋も古い建物が非常に多かったということになります。
それを裏付けるように、能登半島地震で亡くなった方の死因で一番多かったのは、倒壊した建物の下敷きになったことなどによる圧死で、全体の41%にあたる92名。次いで窒息や呼吸不全が22%42名でした。つまり、ほとんどの方が高齢者で逃げ足が遅く、古い建物にいる状態で地震に遭ってしまい、倒壊した建物や家具に押しつぶされて亡くなってしまったということになります。
そして季節的な要因。これはもちろん冬だからという理由になるわけですが、能登半島地震で亡くなった方のうち、低体温あるいは凍死で亡くなった方は実に14%、32名も発生していることがわかっています。
救助を待つ間に、1月の能登半島の寒さに耐えられず、低体温などで命を落とした方が多数いたことがわかります。
また、これら2つの要因に加えて、能登半島の「立地的な要因」も一つ原因として挙げられると思います。
被害のあったこの地域は、周りからのアクセスが非常に悪い地域となっていて、能登地域に向かって走る数少ない道路も地震によって破損が起き、通行できなくなってしまったため、消防や自衛隊などの救助隊の到着が大きく遅れたことも原因として挙げられるでしょう。
なぜ1年経つのに復興が進んでいないのか?
続いて、能登半島の地震からもう1年が経つのにも関わらず、なぜ復興があまり進んでいないのか。気になっている方も多いと思います。
こちらは「地域的な要因」が主に関係しているので、その辺をお話しさせていただきます。
先ほども記載したとおり、被災地となった能登の地域では道路の被害が非常に大きく、片側通行になってしまった道路が多く渋滞が多数発生していた点。そして、そもそも被災地へ向かう交通の便がやや悪いため、被災地に入れる支援業者ボランティア団体も数が少なくなってしまうという点。
これにより、避難所での生活も長期化していて。2014年10月(=つい最近)まで避難所が開設されたままになっていて、発災から約10ヶ月もの間、避難所で生活している人が多数いたそうです。
今は避難所自体は閉鎖されたわけなんですが、なおも倒壊した建物の復興が進まずに仮設住宅に暮らすことを余儀なくされている方々が約8000世帯ほどいると言われています。
この復興の遅れは、当然、国による介入の遅さが原因だと考える方もいると思います。
人によっては、国が地域の復興をあえて遅らせている、能登半島のことを見捨てていると感じ、政治であったり、国そのものに対してフラストレーションを抱えている人もいるとは思います。
これは非常にセンシティブな内容なので、これ以上の言及はしませんが、「1年経ってもまだ8000世帯もの方々が自分の家ではなく、仮設住宅で進まなきゃいけない」この状況は明らかに異常だということは間違いなく言えると思います。
能登半島地震から私たちが学ぶべき教訓
さて、そんな能登半島地震について軽く掘り下げさせていただいたわけなんですが、当然次は私たちの住む町・あなたの住む町にマグニチュード8クラスの巨大地震が襲ってくるかもしれません。
能登半島地震で起きた被害、なおも進まない復興、そういったところを教訓にして、今を生きる私たちは、改めてもしもに対する備えをしなければなりません。
能登半島地震から私たちが学ぶべき教訓は3つあります。
1つ目は自助の大切さ、2つ目は冬の地震対策の重要性、そして3つ目、地震の予想は難しいということ。この3つです。
これらの教訓について一つずつ詳しくお話をさせていただくので、ぜひこれを機に覚えておいていただきたいと思います。
能登半島地震の教訓①自助の大切さ
能登半島地震から得られる教訓、1つ目は自助の大切さです。
過去の何度もお話ししていますが、災害発生時は消防や警察、自衛隊などの公助行政による助けなどは来ないと考えてください。
なぜなら、ただでさえ災害時は救助要請、救急要請が殺到して、警察・消防も人員が足りない状態が長く続くから。
さらに倒壊した建物で道が塞がったり、道路や橋が破損したりしていて、交通の遮断が生じ、「助けに行きたくても行けない」という状況が生まれるからです。
特に能登半島のような元々アクセスが悪い地域であれば、地震による揺れで数少ない道が崩壊してしまい、救助が一切到達することができないという状況になり得るということです。
地震発生時、公的機関による援助はなかなか受けられない。公的機関による援助が来るまでにはとてつもなく時間がかかる。つまり、地震があったら自分自身で何とかしなければいけないんだという危機感を常に持つ必要があるということです。それが「自助」ということです。
自分の命は自分で守る。そしてそのための備えを常にしておく。これは能登半島地震の一番の教訓として、私たちは覚えておかなければならないと思います。
能登半島地震の教訓②冬の災害対策の重要性
能登半島地震から得られる教訓2つ目は、冬の地震対策の重要性になります。先程言ったとおり、能登半島地震で命を落としてしまった方々の中には、低体温あるいは透視が死因となった方が数多くいました。
これ、裏を返せば、冬の備えがしっかりとできていさえすれば、命を落とさずに済んだかもしれないということでもあるのです。
地震によって冬に電気などのライフラインが途絶えた場合、寒さに体が耐えられず、低体温症になって命を落としてしまうということは誰にでもあり得ることです。
しかも都会より地方・田舎の方が避難できる建物や、暖を取れたり風をしのげたりする建築物自体も数が少ないですよね。なのでより一層、低体温症を発症するリスクは高くなると覚えておいてください。
そういった地域にお住まいの方はなおさら冬に地震が来たときの備えが何よりも大切になってくるのです。
冬の備えをしているかしていないかで当然感じる寒さも変わり、命を失うリスク・生存確率に少なからず差が出るということを少しでも理解しておいていただけたらいいかなと思います。
能登半島の地震を受けて、『冬に地震が来たら…』そして『暖をとれるライフラインが途絶えたら…』ということをちょっと考えていただいて、必要な装備を揃えていただくよう準備してください。
能登半島地震から得られる教訓③地震予測は難しい(不可能である)
そして最後、能登半島地震から得られる教訓3つ目、これが『結局、地震っていつどこで起きるか全くわからないよね』という点になります。
この記事を読んでくださっているあなたにぜひ聞いてみたいことがあるんですけど…率直に「あの時、能登半島で地震が起きるって予想できてましたか?」
テレビやネットニュースなどで、例えば南海トラフ地震だったり、首都直下型地震っていうワードはよく耳にしたことがあると思います。
でも、能登半島であれだけの大きな地震が起きるかもっていうニュースや報道を見たことある方、ほとんどいないんじゃないでしょうか。
南海トラフや首都直下型地震よりも、まさか能登半島大地震が先に来るなんて誰も予想できていなかったはずなんです。
つまり、結局のところ、地震予測というものはあくまで発生確率をパーセンテージで表しているだけで、完全な予測はできないんです。
だって、次どこで地震が来るかがもし正確に分かるとしたら、その地域から事前に避難しておけばいいだけっていう話になっちゃいますからね。予想ができないから、私たちはいつ来てもいいように備蓄をしないといけないし、もしもに対する準備や心構え、そしてシミュレーションなどをしておかなければならないということでもあるわけです。
能登半島の地震を無駄にしないために
能登半島の地震をただの自然災害(=運が悪かったよね)で片付けるのではなくて、これからの防災の糧にしていかなければならないと僕は考えます。
去年の元旦、1年の始まりにいきなり起きた大地震ということで、誰もが記憶に残っている能登地震だとは思うのですが、当時から今に至るまで仮設住宅で避難生活を余儀なくされている方がいる。そういった方々の気持ちになって考えてみた時に、能登半島地震を教訓にせず忘れてしまって、次に自分たちの住む町で地震が来た時に同じように被害に遭ってしまったら…能登半島地震で命を落とした方々が報われないなと僕は思うのです。
まだ復興が終わっていないので忘れてはいけないというのはもちろんなんですが、次の災害の時に、『あの時の能登の地震でこういう教訓があったから、それを活かして生き残れた人が一人でも増えたよね』っていう、そういった形で過去の地震をどんどん乗り越えていき、少しずつ日本を災害大国から「災害対策大国」に変えていく必要があると思っています。
改めて能登半島地震の怖さ、大地震の怖さをもう一度考え直すきっかけにしていただいて、2025年はいつ、どこで、どんな地震が来たとしても、それを乗り越えられる私たちであるよう準備をしていきたいなと心から思います。
今年も何卒よろしくお願いいたします。
それではまた。