妊娠中の社員のために増やす備蓄品は、多くありません。国と東京都の資料が挙げるのは、毛布を多めに、マタニティ用の下着や衣類、それに母子健康手帳などを本人が持ち歩くことくらいです。先に決めるのは物ではなく、トイレに近く横になれる場所と、歩いて帰さない段取りです。妊娠初期は本人も気づかないことがあるので、名簿ではなく全員向けの仕組みで備えます。

BCP対策の備蓄を見直していて、妊娠中の社員の分をどう考えればよいか迷った総務の方に向けた記事です。東京都の帰宅困難者対策ハンドブックは、配慮が必要な人(要配慮者)の例に妊産婦を挙げています。妊娠中の社員がいると何が増えて何が増えないのか、何を先に決めておくのかを、国と東京都の公表資料にそって整理します。車椅子の社員の場合は車椅子の社員がいる場合、災害時のトイレと備蓄はどう考えればいいですかで扱いました。

根拠の数字|国と東京都が妊婦について書いていること

資料書かれていること
東京都「帰宅困難者対策ハンドブック」令和5年3月 30ページ要配慮者の「その他の特に配慮を要する者」として妊産婦が想定される。妊産婦は「身動きが取りにくいなど避難行動が難しい場合がある」「安静が必要、横になりにくいなど、避難生活に配慮が必要な場合がある」
同 14ページ発災時の社内の業務のうち「衛生・救護」に「妊産婦、障害のある方などに対してどのような配慮が必要か把握」を挙げている
同 31ページ要配慮者自身の備えとして、母子健康手帳など診療記録や緊急連絡先を記載したものを普段から持ち歩く。介助者の確保、避難場所や避難経路、安否確認手順などを事前に企業等と情報共有する
内閣府(防災担当)「災害発生時における大規模な帰宅困難者等の発生への対策に関するガイドライン」令和8年1月 25ページ帰宅はおおむね4日目以降を目途に順次。徒歩で帰れる人には徒歩帰宅を促すのが原則。ただし「自力での徒歩帰宅が困難な避難行動要支援者等(障がい者、高齢者、妊婦又は乳児連れの人、遠距離通学の小学生等)」は「特別搬送者」とし、何らかの搬送手段を確保して帰宅を促す
東京都福祉保健局「妊産婦・乳幼児を守る災害対策ガイドライン」平成26年3月 8〜10・13ページ妊娠中は「疲れやすく、長時間立っていられない」「重いものを持つことができない」。妊婦は一般の人に比べて血栓ができやすい(予防は水分を十分とる、足を高くして休む、適度に体を動かす)。妊娠初期は本人にも妊娠の自覚がないことがある。妊娠8週ころから頻尿の傾向、後期は膀胱が圧迫されて頻尿になりやすい
同 60〜61ページ妊婦は腹部を冷やさないよう注意が必要なので「毛布を多めに確保することが重要」。妊婦向けの食料は個人差が大きく「妊婦一般のための物資は特定しにくい」
内閣府 男女共同参画局「災害対応力を強化する女性の視点〜男女共同参画の視点からの防災・復興ガイドライン〜」令和2年5月 38ページエコノミークラス症候群(肺塞栓症)は「女性、妊婦、乳幼児の発症リスクが高く、特に、トイレ環境を理由に水分を控えると発症リスクが上がります」
同 56ページ(備蓄チェックシート)妊産婦の欄に、妊産婦用下着、妊産婦用衣類、防犯ブザー/ホイッスル、母乳パッド

どの資料にも、妊婦1人あたり何枚・何個という数量の目安はありません。書かれているのは品目と、体の特性と、配慮のしかたです。だから会社の備蓄では、数を足すより先に場所と段取りを決めることになります。

この基準は誰向けか。自社にどう読み替えるか

上の資料は、もともとの読み手がそれぞれ違います。会社の義務としてそのまま読まないよう、分けておきます。

資料もともとの読み手会社での使い方
東京都 帰宅困難者対策ハンドブック事業者そのまま使える。社員を社内にとどめる間の手引き
内閣府 帰宅困難者等ガイドライン国・自治体・事業者特別搬送者の搬送は行政や交通事業者が組む仕組みで、会社がバスを用意する話ではない。会社が読み取るのは「妊娠中の社員を歩いて帰す列に入れない」「搬送の順番が来るまで社内に残る前提で備える」の2点
東京都 妊産婦・乳幼児を守る災害対策ガイドライン自治体で防災対策に関わる人妊婦の体の特性を知る資料として読む。物資の確保の話は、自治体の避難所向け
内閣府 男女共同参画の視点からの防災・復興ガイドライン都道府県・市町村同上。備蓄チェックシートは品目の手本として使う。社員が社内にとどまる間、会社は小さな避難所を運営することになる

日数の置き方も先に書いておきます。東京都が示す備蓄の目安は3日分です。当社は7日分を到達点、3日分を第1段階と位置づけています(防災備蓄は何日分そろえればいいですか)。妊娠中の社員にとって日数はとくに効きます。下の「実務でつまずく点」3で見るとおり、歩いて帰れる人より会社に残る時間が長くなりやすい側だからです。

数え方|人数で決まるものと、場所で決まるもの

妊娠中の社員がいるときの備蓄は、人数に目安を掛けて出すものと、場所や段取りで決まるものに分かれます。妊娠中の社員がいて変わるのは、ほとんどが後者です。

数えるもの数え方妊娠中の社員がいると
携帯トイレの袋算定対象人数 × 1日5回(内閣府のトイレのガイドライン)× 日数増えない。妊娠中の人も人数に入っている。頻尿の傾向はあるが、回数を上乗せする公表値は無い
水・主食1人1日3リットル・3食(東京都・内閣府の目安)増えない
毛布1人1枚(内閣府ガイドライン 参考資料2)東京都の妊産婦のガイドラインは「多めに」。枚数は示されていないので、自社で決めて理由を残す
マタニティ用の下着・衣類内閣府の備蓄チェックシートの品目品目として足すか、本人が職場に置く形にするかを決める
横になれる場所部屋の数1室。トイレに近い側に取る
歩いて帰れる人の割合当社の式:算定対象人数 = 拠点滞留者 ×(1 − 徒歩帰宅が可能な比率)妊娠中の人を「歩いて帰れる側」に数えない

最後の行の式は、当社が備蓄の算定で置いているもので、行政が定めた基準ではありません。式の全体は従業員100人の会社は、防災備蓄を何人分そろえればいいですかにまとめています。

計算例|100人と300人で、変わるものと変わらないもの

算定対象人数が100人と300人の場合です。携帯トイレの1日の使用回数は内閣府のトイレのガイドラインの5回、予備率20%と帰宅困難者上乗せ10%は当社の置き方です。帰宅困難者上乗せ10%は東京都の考え方なので、都内の拠点だけに乗せます。

項目100人300人
携帯トイレ 3日分(1人1日5回)1,500回4,500回
3日分 ×(1+0.2+0.1)都内の拠点1,950回5,850回
3日分 ×(1+0.2)都外の拠点1,800回5,400回
7日分 ×(1+0.2+0.1)都内の拠点4,550回13,650回
7日分 ×(1+0.2)都外の拠点4,200回12,600回
毛布(1人1枚・上乗せ前)100枚300枚
妊娠中の社員がいることによる増減携帯トイレ・水・主食は0。毛布は「多めに」同左
横になれる別室1室1室以上(待機する階の数による)

ここで、数量を「国の目安×自社の人数」で示し、妊娠中の社員の分は「数ではなく場所で手当てした」と書けていると、稟議では金額の話に進めます。予算が通らない原因は、たいてい金額の大きさではなく、数の根拠が担当者の判断に見えることです。何が増えて何が増えないかを言い切れることも、その根拠の一部です。

実務でつまずく点

1. トイレに行きにくい環境が、妊婦の血栓のリスクを上げる

内閣府男女共同参画局のガイドラインは、エコノミークラス症候群は女性・妊婦・乳幼児で発症リスクが高く、トイレ環境を理由に水分を控えると発症リスクが上がると書いています。東京都の妊産婦のガイドラインも、妊婦は一般の人に比べて血栓ができやすく、予防は水分を十分とることだとしています。

ところが妊娠中は、初期から頻尿の傾向が出て、後期は膀胱が圧迫されてさらにトイレが近くなります。暗い廊下を通る、男性の待機場所を横切る、行列に並ぶ。こうした小さな不便が重なると、人はトイレの回数を減らすために水を飲まなくなります。水を1人3リットル置いても、トイレに行きにくければ飲まれません。

だから妊娠中の人がとどまる場所は、トイレに近い側に取ります。当社は、使える階が複数あれば最初に男女で階を分けることを勧めています。そのうえで、女性の階の中でトイレにいちばん近い部屋を要配慮者の部屋に取ると、近さの条件がそろいます。部屋の決め方は地震のとき、社員を会社のどの階にとどめるかは、先に決めておくべきですかで扱っています。

2. 妊娠初期は、本人も周囲も気づいていないことがある

東京都の妊産婦のガイドラインは、妊娠初期について「本人にも妊娠の自覚がないことがある」「周囲の人には妊娠していることがわかりにくい」と書いています。そして妊娠4〜11週ころまでは流産の危険性が大きい時期です。つまり、妊娠中の社員の名簿を作っても、いちばん気をつけたい時期の人が抜けます。

東京都のハンドブックは、妊娠初期の人などが周りに配慮が必要なことを知らせるヘルプマークと、マタニティマークを紹介しています(34〜35ページ)。会社がやることは、名簿を作ることではなく、「体調に不安がある人は、この部屋を使ってよい」という全員向けの決まりを先に作っておくことです。ハンドブックも、要配慮者の側から企業に伝えてもらう形を書いています(31ページ)。個人の情報を集めずに備蓄を数える考え方は個人の健康情報を集めずに、防災備蓄の算定はできますかにまとめています。

3. 「4日目からは歩いて帰す」の列に、妊娠中の人を並べてしまう

内閣府のガイドラインは、帰宅はおおむね4日目以降を目途に、徒歩で帰れる人から順次帰すのを原則にしています。そのうえで、妊婦や乳児連れの人などを「特別搬送者」とし、何らかの搬送手段を確保して帰宅を促すとしています。同じガイドラインの参考資料10(一斉帰宅抑制後の帰宅行動指針)も、駅や電車の混雑が続くと、徒歩帰宅が難しい妊産婦などは「鉄道を利用できずいつまでも帰宅できない状況となる」と書いています。

ここから読み取れるのは、妊娠中の社員は、歩いて帰れる人より会社に残る時間が長くなりやすい側だということです(日数を示した基準ではなく、当社の読み替えです)。徒歩帰宅の比率を見積もるときに、妊娠中の人を「歩いて帰れる側」に数えないでください。家族と連絡を取る手段と、搬送の情報を待つ間に休める場所を、あわせて決めておきます。

4. 発災時の運搬係と避難誘導の係に、妊娠中の人が入ったままになっている

東京都の妊産婦のガイドラインは、妊娠中は重いものを持つことができず、長時間立っていられないとしています。妊娠中後期はおなかで足元が見えず、避難のときは「必ず、誰かに先導してもらい、一緒に行動することが重要」です(40ページ)。内閣府男女共同参画局のガイドラインも、妊娠後期は足元が見えづらく、移動に時間がかかる場合があると書いています。

自衛消防の係や備蓄の配給係を名前で決めている会社では、その人が妊娠したときに係を外す手順が抜けがちです。係は1人ではなく、代わりの人まで含めて2人ずつ決めておくと、誰かが妊娠・けが・不在のときにも回ります。外した人の避難のときに先導する人も、同じ表に書いておきます。

5. 妊婦向けの非常食をそろえようとして、話が止まる

東京都の妊産婦のガイドラインは、妊娠中は多くの栄養が必要な一方で、つわりのときに食べられるものなど個人差が大きく、「妊婦一般のための物資は特定しにくいのも事実」としています。会社が全員向けに妊婦用の非常食をそろえようとすると、何を買えばよいか決まらず、備蓄の見直しそのものが止まります。

東京都のハンドブックは、要配慮者自身の備えとして、母子健康手帳などを普段から持ち歩くこと、生活に必要な薬などは可能なものを勤務先に常備しておくことを挙げています(31ページ)。食べられる物にも同じ考え方が使えます。会社は全員分の非常食を人数どおりに置き、妊娠中の人が自分で食べられる物や常用薬は、本人が職場に置いておけるよう置き場所を決めておく。こうすれば、何を買うかで話が止まりません。

社内でどう説明するか

稟議書や防災計画にそのまま使える書き方の例です。

前提:携帯トイレ・水・主食の数量は、妊娠中の社員の有無で変わらない。数量は「算定対象人数×国・都の目安×日数」で出す。

追加するもの:毛布を人数分より多めに(東京都 妊産婦・乳幼児を守る災害対策ガイドライン 60ページ)。マタニティ用の下着・衣類を品目に入れるか、本人の常備とするかを決める(内閣府 男女共同参画局ガイドライン 56ページ)。

場所:女性がとどまる階の、トイレに近い部屋を要配慮者の部屋とし、横になれる状態にしておく(東京都 帰宅困難者対策ハンドブック 30ページ/内閣府 男女共同参画局ガイドライン 38ページ)。

体制:妊娠中の社員は徒歩帰宅の対象に数えない(内閣府 帰宅困難者等ガイドライン 25ページ)。運搬・避難誘導の係は代わりの人まで2人ずつ決める。

個人情報:妊娠の有無の名簿は作らない。「体調に不安がある人はこの部屋を使ってよい」を全員に周知する。

上司から「妊娠中の社員のためにいくら増えるのか」と聞かれたら、増えるのは毛布の上乗せと衣類くらいで、大きいのは部屋の割り当てと係の決め直しだと答えられます。

よくある誤解

誤解実際
妊娠中の社員がいると、備蓄の数が大きく増える携帯トイレ・水・主食は人数×目安で決まり、増えない。足すのは毛布を多めにと、マタニティ用の衣類くらい
妊娠している社員を把握して名簿を作る必要がある妊娠初期は本人も気づいていないことがある。名簿では拾い切れないので、部屋と申し出の受け口を全員向けに作る
3日たてば、全員歩いて帰せる妊婦は特別搬送者の例に挙がっていて、搬送手段を確保して帰す対象。会社に残る時間が長くなりやすい
トイレを我慢しないよう伝えれば足りる我慢させない環境が先。近い・明るい・並ばない場所でないと、人は水を控える
妊婦向けの非常食を会社でそろえるべき東京都のガイドラインも「特定しにくい」としている。本人が食べられる物を職場に置ける形にする

まとめ

  • 妊娠中の社員がいても、携帯トイレ・水・主食の数は増えない。足すのは毛布を多めにと、マタニティ用の衣類くらい
  • 先に決めるのは、トイレに近く横になれる部屋。トイレに行きにくいと水を控え、妊婦の血栓のリスクが上がる
  • 妊婦は内閣府のガイドラインで特別搬送者の例に入っている。歩いて帰れる側に数えない
  • 運搬・避難誘導の係は代わりの人まで2人ずつ決め、妊娠中の人の避難には先導役を付ける
  • 妊娠初期は本人も気づかないことがある。名簿ではなく、全員向けの決まりで備える

この記事の出典

この記事は国と自治体の公表資料にもとづく一般的な整理です。妊娠中の体調は時期と個人によって大きく違います。個別の配慮は、本人の希望と主治医の指示を優先してください。

この記事の論点だけでも、要配慮者の部屋、トイレまでの近さ、毛布と衣類、徒歩帰宅の数え方、運搬と避難誘導の係、本人が職場に置く物と、確かめることが6つあり、社員の妊娠や異動のたびに見直しも要ります。備蓄は人の命に関わるので1つも落とせず、これを担当者1人が覚えて回し続けるのは現実的ではありません。当社はそのための管理の仕組みをご用意しています。

当社は非常用トイレをはじめとする防災備蓄品を扱っており、備蓄数量の算定のご相談も承っています。自社の人数で数えると、どの品目がいくつ要るかは、算定で出せます。

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